真野響子「とと姉ちゃん」平塚らいてう役で出演!家族は?

NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に、平塚らいてう役で真野響子さんが出演します。

平塚らいてうは、雑誌「青鞜(せいとう)」創刊メンバーの中心人物です。

今回は、還暦をとっくに過ぎてなお美しい真野響子さんについて紹介したいと思います。

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真野響子さんのプロフィール

本名は柴本苑子(しばもとそのこ)

旧姓の「真野(まの)」さんを「まや」と読んで芸名にされています。

1952年2月9日生まれ、東京都港区麻布出身です。

身長は168cm、血液型はA型

夫は俳優の柴俊夫(しばとしお)さんで、娘は柴本幸(しばもとゆき)さん、そして妹は眞野(まの)あずささんという俳優一家です。

お姉さんの響子さんは「真野(まや)」で、妹のあずささんは「眞野(まの)」と読むので、まぎらわしいような分かりやすいような感じですね。

真野響子

真野響子さんの経歴

清泉女学院中学校・高等学校、そして桐朋学園大学短期大学部の演劇科を卒業しています。

真野さんのお父さんは日本航空にお勤めで、パイロットだったんですかね、その関係で真野さん一家は1959年から1961年までアメリカ・サンフランシスコで暮らしていました。

中学時代の一時期には北海道で暮らした経験もあるそうです。

お父さんが転勤の多い仕事だと、転校は大変でしょうけど楽しそうでもありますね。

大学卒業後は、スチュワーデスの内定を蹴って「劇団民藝」に入団しました。

「血の婚礼」で舞台デビューし、その後、NHKの「出逢い」でテレビデビューしました。

このテレビデビューのときに、「真野」の読みを「まや」としたそうです。

東宝の映画「忍ぶ糸」で映画デビューを果たすと、知名度が上がって多数の作品に出演しました。

ドラマで共演した柴俊夫さんと結婚して、芸能活動をセーブしながら子育てしたそうです。

きれいで優しくて賢くて、柴俊夫さんの嫁さんを選ぶ目はすばらしかったようです。

2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で注目を集めました。

そして2016年の朝ドラで、平塚らいてう役で再び注目を浴びています。

「青鞜(せいとう)」について

青鞜(せいとう)」は、「青鞜社」が発行した女性による月刊の機関誌です。

1911年(明治44年)9月から、1916年(大正5年)2月まで、52冊が発行されました。

平塚らいてうさんが中心になって発行されていました。

文学史的にはさほどの役割は果たさなかったが、婦人問題を世に印象づけた意義は大きい」とも言われているようですね。

婦人解放運動を精力的に展開していたので、常子たちのような進歩的な考えを持つ女性たちには受け入れられたのではないでしょうか。

平塚らいてうについて

平塚らいてう

平塚らいてうさんは朝ドラに良く登場しますね。

「花子とアン」「あさが来た」、そして「とと姉ちゃん」と、あの時代に生きて、後世に名を残すような女性たちにとって心の支えになっていたんですかね。

平塚らいてうの本名は、平塚明(ひらつかはる)です。

「らいてう」と書いて「らいちょう」と読みます。

1886年(明治19年)2月10日生まれです。

思想家評論家作家フェミニストで、戦前・戦後にわたって女性解放運動を行いました。

ものすごくアクティブでマルチな才能を持った方だったんですね。

1911年、らいてうさんが25歳のときに発行した「青鞜」の表題が、ちょくちょく朝ドラで斉唱される「元始、女性は太陽であった」です。

この表題は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つになったそうですから無理もありませんね。

おわりに

「とと姉ちゃん」は毎朝楽しみに観ています。

朝ドラはむちゃくちゃ悪い人が出てこないから安心して観ていられます。

朝っぱらから気分悪くなりたくないですもんね。

真野さんの平塚らいてうはどんな感じでしょうね。

登場はまだもうちょい先でしょうから、のんびり待っていたいと思います。

今回の記事が皆さんの参考になれば幸いです。

まさきちでした。

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